ご無沙汰しております、石橋です。島村会長が直前の投稿でご紹介くださったように、遂に〈驚異の旅〉コレクションの刊行が始まります。文字通りの第一「弾」は、第二巻のガン・クラブ三部作。この三作を個人訳で一巻にまとめるのは世界初。フランスでも合本はありません。通しで読んでいただくことで色々と新たな発見があるのではないか、と期待しております(個人的には、物語間の微妙な齟齬が創作の進展に伴って必然的に生じる変化を浮かび上がらせて興味深かった)。特に、『地軸変更計画』と題された『上も下もなく』の初訳には、このタイトルをはじめ、様々な問題がありました。一概に訳者の非とするわけにもいかないのは、まずテーマ自体の複雑さが挙げられます。例えば、モーパッサンの専門家による以下の感想。
http://etretat1850.hatenablog.jp/entry/20081104/p1「それにしても地軸変更が巻き起こすはずの大変動の説明がぜんぜん理解できないままなのであった」と慨嘆されておられますが、無理もない。まず訳者自身が十分に理解できていないまま訳してしまっています。僕の訳はこの点は正確度が上がっていますが、それでも一読すっと理解できるかどうかはわかりません。というのはヴェルヌ自身が完全にわかっているわけではおそらくなく、彼にとって厳密な意味での正確さより、物語化という形での彼流の理解の方が遙かに重要だったからです。この作品の原案といいますか、計画の大要と計算を提供したのはバドゥローという技師でした。彼はマニアックな性格だったらしく、計算はもちろん、彼自身がモデルとなった作中人物ピエルドゥーの設定に至るまで、事細かな提案書をヴェルヌに提出しています。そこでは月二部作の間違いが細かく列挙され、『上も下もなく』は原稿に目を通しておかしな点を指摘しています。後者については実に144点にのぼり、物語や表現のレヴェルの指摘にまで及んでいます(ヴェルヌという人はこういう介入を妙に誘発するところがおもしろい)。ヴェルヌは大半を受け入れていますが、そうではない箇所もある(微妙なのは人工言語ヴォラピュック語の洒落「ゾラピュック」で、挿絵版ではバドゥローの意見を容れているのに、最終ヴァージョンに当たる十八折判では残っている――あるいは残している――点。これはヴェルヌの意図と解釈して、本邦訳では底本に採用した十八折判そのままとしました)。しかし、月二部作の問題点についてはまったく頬かむりしています。そもそもヴェルヌは草稿やゲラでは、この二部作についても専門家の意見を聞いて修正を施していますが、それは極めて表面的なつじつま合わせに近く、いったん本になってしまったら「こっちの勝ち」じゃないですが、もう正確さは気にならないんですね……そういうヴェルヌの修正の性格がよく表れている例を次にご紹介しましょう。
『月を回って』の第三章。まず原文を掲げます。
C’était un disque énorme, dont les colossales dimensions ne pouvaient être appréciées. Sa face tournée vers la Terre s’éclairait vivement. On eût dit une petite Lune qui réfléchissait la lumière de la grande.[...]
[...] L’astéroïde passa à plusieurs centaines de mètres du projectile et disparut, non pas tant par la rapidité de sa course, que parce que sa face opposée à la Lune se confondit subitement avec l’obscurité absolue de l’espace.
物語の「核」ともいうべき謎の「第二の月」です。問題となるのは、 Sa face tournée vers la Terre(地球に向いたその面)、une petite Lune qui réfléchissait la lumière de la grande(大きな月の光を反射する小さな月)、sa face opposée à la Lune(月と反対側の面)の三つです。このうち三つめは若干説明を要します。この表現は、普通にここだけ見れば「月と向かい合った面」と取る方が自然だろうと思います。事実、「地球に向いたその面」が光っている以上、「月と向かい合った面」は光っていなくて闇に溶け込んだ、と自然に取れる。ところが、ヴェルヌは同じ表現をこの小説の中でほかにもう一ヶ所使っていますが、そこでは「〜とは反対側の面」という意味にしか取れないのです。つまり、ここでもその意味に使っている可能性が高い。そうすると、矛盾が生じはしないか? 少なくとも「大きな月の光を反射する小さな月」という表現は、「大きな月」が地球だとすれば、この時の地球がほとんど見えず、月は満月に近いので、明らかに変でしょう。
そこで草稿を見てみる。すると、ヴェルヌは「地球に向いたその面」を最初は「月に向いたその面」と書いてから「月」を消し、「地球」と書き換えていることがわかります。つまり、ヴェルヌは当初、第二の月が砲弾に急接近する時には、月の光で「強烈に照らされ」るはずだと思っていたことがわかります。確かにこの時、砲弾は地球の本影の中にありましたから、そう思う方が普通でしょう。僕もそう思って、これはむしろヴェルヌの勘違いによる修正ではないか、と思いました。そうすれば、まず「月と向かい合った面」が月に照らされた火球が砲弾に迫ったあと、「地球に向かい合った面」が暗い火球は闇に溶け込む、となってすっきりしますから。「大きな月に照らされた小さな月」とも整合性が取れる。間違いなく、これがヴェルヌの最初の意図でしょう。やれやれ、これにて一件落着、かと思いきや……
椎名建仁さんは、バドゥローが書いた『上も下もなく』の補遺を翻訳してくださったほか、『地球から月へ』のサロス周期の問題も解決し、いわば日本語版のバドゥローとアンリ・ガルセ(ヴェルヌの従兄の数学者で、月二部作のアドヴァイザー)の一人二役です。椎名さんによれば、ヴェルヌの訂正は正しいのでは、とのこと。とすれば、おそらくここはガルセか誰かの指摘で直したのです。が、おもしろいことに、その場合でも「月とは反対側の面」の解釈はこのままでいいらしい。火球は近づいてくるときは地球の本影の外にあり、太陽に照らされて満月のように光り輝いている。しかし、砲弾とすれ違う時は、この光は消え、月にだけ反対側を微弱に照らされ、おそらくほとんど見えなくなる。すれ違った直後もこの状態が続くので、完全に暗い「月とは反対側の面」は闇に消える。「月とは反対側の面」はヴェルヌの当初の誤解のままなのですが、この場合、たまたま「正解」だったんですね。明るい面が実は途中で入れ替わっている。ところがヴェルヌという人は、表面上の辻褄合わせしかしないので、こういうおもしろいことが後から出てきてもまったくくだくだ説明してくださらない。おまけに「大きな月の光に照らされた小さな月」という当初の誤解をもろに反映した表現を(おそらく表現自体のおもしろさに執着して)消さない。まったく、これでは訳者が混乱しても仕方がないではありませんか!
というわけで(?)、ヴェルヌのせいですから、本文の「誤訳」はそのままにしています。まあ端的にもう直す時間的・物理的余裕がなかったんですが、「あとがき」にも上の解釈は書いていません。ヴェルヌの「テクスト的現実」のレヴェルではこの解釈が正解といっていいと今のところ確信していますが、ただ、どうも癪に障るので、どなたか、フランス語が読めて天体の動きのシミュレートがPCでできる好事家の方がいらっしゃいましたら、ぜひ、「実際には」どう見えるのか、再現してはいただけないでしょうか。この「第二の月」を発見した「プティ氏」の論文が実は今はネットで読めるので、軌道の数値もわかるのですよ! いや、衷心から全国(全世界)の天文マニアのご協力を乞う次第であります。
http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k5719191x/f457.image
posted by ishibashi at 14:54|
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今日の誤訳
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