2018年04月02日

第V巻(第3回配本)カルパチアの城 ヴィルヘルム・シュトーリッツの秘密

第V巻(第3回配本)カルパチアの城 ヴィルヘルム・シュトーリッツの秘密

「カルパチアの城…」の刊行がずいぶんと長引いているので、先ほど、インスクリプトのホームページを見てましたら5月刊行になっていました。そうあってほしい、と願っています。ヴェルヌの透明人間ものも何時頃出るのかとヤキモキしています。ヴェルヌネタの話題も滞っていますので、気にかかっています。

ヴェルヌ談から脱線しますけど、最近、リノ・ヴァンチュラ出演のDVD「レ・ミゼラブル」をAMAZONで買いました。ミュージカル映画よりもこちらが丁寧に描かれていて大満足しまくっていました。他の司教が馬車で行くのに対して、ミリュエル司教はニコニコしながら歩いて行くシーン。フランス政府の一介の議員Gが「私は今夜限りで死ぬでしょう」というシーンもあり、丁寧なドラマづくりにため息付きまくっていました。余計な一言だけど「威張るように死ぬって言っているけど、まだ、元気そうにしてるじゃん」と言いたくなった。

ヒュー・ジャックマン版は表情がないのでロボットとしか思えない。プチ・ジェルヴェがバッサリ切り捨てられている。他の映画でも司祭の愛に打たれたとあるけど、私に言わせればプチ・ジェルヴェの存在が大きく伸し掛かっていて、良心の呵責からドラマが突き進んでゆく物語ですから感動させるわけですな。
ファンチーヌの死後、ジャン・ヴァルジャンはトーロンの徒刑場に逆戻りしたものの、砲門を備えた帆船オリオン号。帆をたたむ作業をしていた船員が転落しそうになっている。その彼を救出するシーンがとりわけ心に残る名シーンとして心に焼き付いています。

posted by Cyrus Harding42 at 16:42| Comment(2) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月04日

幻想物語をめぐって

NHKで3年かけて放送していた『精霊の守り人』が完結しました。
地上波のTVで、それも実写で、大人向けに本格ファンタジーをやる、というのは日本では極めて珍しい、というか、すぐに思いつくのは『西遊記』くらいしかないのではないかと思います。

それを綾瀬はるか、藤原竜也といった主役級の俳優を揃えて製作した、ということだけでも意義のあることでした。

原作と話の順番を変えているという(いささか批判的な)反応があるようですが、これは番組のホームページで原作者の上橋菜穂子さんが丁寧に説明しています。原作者合意の上であれば、全く問題ないでしょう。

特に最終盤の展開はかなり原作とかけ離れていますが、主要登場人物が一堂に会する場面構築は演劇的な手法で、映像化のあり方としては理解できるものだと思います。

上橋さんは以前アニメ化された『獣の奏者』のシリーズ構成にも自ら参加されていて、その途中で『獣の奏者』は「探求編』『完結編』が書かれていますので、何らかの影響があったのではないかと思います。作者自身による続編と、他者による二次創作との関係を考える上でも興味深い事例ではないでしょうか。もしかしたら、「守り人」にも何か影響があるかもしれません。

ところで上橋さんは、とある対談で、アーシュラ・K・ル=グィンの『ゲド戦記』を「頭で書かれたものではないか」と、若干批判的なコメントをされています。上橋さん自身は、物語の原型的な部分には自然に触れて行くもので、構築的に書かれるものではない、という信念をお持ちのようです。それはそれで、何となくわかるような気がします。

しかしながら、『ゲド戦記』がいかに西洋幻想文学の原型的な主題の根幹に触れているかは、私市保彦先生の『幻想物語の文法』に詳しく書かれております。そもそも西洋幻想文学は、西洋的知(ロゴス)が神話的原型あるいは原初的欲望に触れた時、いかなる表現として現れるかという系譜ではないでしょうか。

もっとも、『ゲド戦記』はいったん3巻目で完結したように見えて、かなり後に再開した第4巻で驚くべき展開を見せる、複雑な経緯を経た一筋縄ではいかないシリーズですので、そんなことを考えながら読み返してみるのもいいかもしれません。

ル=グィンは1月22日に亡くなりました。日本では『ゲド戦記』がジブリでアニメ化されたというだけの理由からなのか、「『ゲド戦記』の作者」としてしか紹介されていないようで、『闇の左手』がSFジャンルに与えた計り知れない影響のことを思うといささか残念な気がします。ファンタジーも、「オルシニア国」シリーズなど復刊してほしいですね。

『精霊の守り人』についてごく個人的なことを言えば、あのめちゃくちゃ強くてかっこいい、綾瀬はるかのバルサがもう見れないのは名残惜しい、ということに尽きています。
posted by sansin at 19:59| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月20日

ヴェルヌと科学者、そして初歩的なミスについて

「コズミック☆フロント」、再放送は1月31日(水)です。ふだん、文学としてのヴェルヌにばかり注目するのですが、こうした科学史とイマジネーションの関わりの典型例としてのヴェルヌというのは、やはり興味深いもので、大変面白かったと思います。

番組に登場したコア・プロジェクトの中島善人博士は、会誌2号の『地球の中心への旅』特集に特別寄稿をいただいています(残念ながら現在は在庫切れですが・・・)。
また、パリ天文台のジャック・クロヴィジエ氏はまさに、最新12号の石橋さんの寄稿「ジュール・ヴェルヌを誤訳する」の中で、「第二の月」問題にコメントをいただいていますし、ヴェルヌ研究家のフィリップ・ド・ラ・コタルディエール氏は当会の私市保彦先生・石橋さん・新島さんの共訳による『ジュール・ヴェルヌの世紀』(東洋書林)の著者の一人であります。このように、当会にも縁のある方々が多数出演されて、なかなか感慨深い番組でした。

個人的に身を乗り出したのが、ツィオルコフスキーの映像が映ったこと。動画があるんだ、とちょっと感動しました(それにしても、NHKの取材力、映像資料の豊富さには驚かされます)。
ツィオルコフスキーについては、最近『宇宙飛行の父 ツィオルコフスキー −人類が宇宙へ行くまで』(的川泰宣著、勉誠出版)が出たばかりで、1960年代に児童向けの伝記や、SFの翻訳などで紹介されて以来の本格的な紹介本ですのでこれは必読と思われます。

さて、タイトルの「初歩的ミス」ということですが、一つはこのツィオルコフスキー本のとある書評(あえてどの新聞の誰とは言いませんが)で、ツィオルコフスキーが影響を受けたヴェルヌ作品を、1865年に発表した『月世界へ行く』だとしていることです。ご丁寧に、創元SF文庫を紹介しておりました。もちろん、創元文庫の『月世界へ行く』は『月を回って』(1870)の翻訳です。ツィオルコフスキーが影響を受けたのは、『地球から月へ』です。

まあ、欲を言えば、邦訳でご紹介いただきたいのはインスクリプトのガン・クラブ三部作完訳版な訳ですが(「コズミック・フロント」で紹介された『上も下もなく』も完訳版があるわけです)。

別に責めているわけではありません。誰にでも初歩的ミスはあるものです。ただ、ヴェルヌについての正しい知識を広めるべく、我々は努力してまいります。

グダグダ申し上げて、何が言いたいかというと、今年最初に投稿したブログで、鳥羽・伏見の戦いを新暦の1月3日に起こったかのように書いてしまったという・・・ご丁寧に、「今頃徳川慶喜が江戸へ逃げて」などと余計なことを書いたもので、言い訳のしようもありません。もちろん旧暦(天保暦)1月の出来事なのです。間違った情報を発信しまして、お詫び申し上げます。

今の暦でいうと、鳥羽・伏見の戦いは150年前の来週、27日あたりに勃発いたします。慶喜が脱出するのは月末か月初ということです。幸いというべきか、歴史ファンの目に止まるほど人に見られているブログではないので(笑)、こっそり修正することにいたします。ああ恥ずかしい。

posted by sansin at 22:11| Comment(1) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする