2018年07月17日

大矢訳『名を捨てた家族』

2016年に出た大矢タカヤス氏の『名を捨てた家族』を改めて精読しました。読みやすく、正確な、そして誠実な訳文で、訳注も行き届いており、大変勉強になりましたが、直訳も厭わない誠実さゆえに、ごまかしがなく、違和感があるところは誤訳であるとすぐわかります。そうした箇所はごくわずかであり、重要度も低いのですが、ただ一箇所、

「こちらの岸から反対側へと向きを変える度に一斉射撃を受ける危険があった」(邦訳103ページ)

ここは訂正しておくべきでしょう。原文は≪ il [Pierre Harcher] dût courir des bordées d’une rive à l’autre ≫で、辞書にも載っている成句とはいえ、ヴェルヌ愛読者以外にはまず馴染みの薄い表現が含まれ、その解釈が誤っています。正しくは、「彼は一方の岸から他方へと間切って進まなければならなかった」と訳すべきところです。

『名を捨てた家族』は、ヴェルヌには珍しい本格的な歴史小説であり、プロットに織り込まれた史実の量が他の《驚異の旅》諸作とは比較にならないほど多い点に特徴があり、どこまでがヴェルヌの創作なのか、読んでいて非常に興味をそそられます。ケベックを専門の一つとしておられる大矢氏だけに、訳注は非常に親切なのですが、物語のそもそもの発端となる1825年の陰謀について、参画者が全員架空の人物なのでそれ自体が架空であることは自明ながら、モデルがありうると思われたのか、そう明言されていません。また、『ジュール・ヴェルヌ評論Revue Jules Verne』が2009年に出した29号でこの作品の特集を組んでいるのですが、残念ながら参照なさらなかったらしく、《驚異の旅》登場実在人物辞典を執筆中のアレクサンドル・タリュー氏がこの号に寄稿した論文で特定されている実在人物の何人かに訳注が付けられていないのが惜しまれます(大矢氏に限らず、ヴェルヌの非専門家の方は、最近のヴェルヌ研究をほとんど参照せず、ラ・フュイ夫人の伝記を筆頭に、昔の文献ばかり依然として参照されるのは何故なのでしょう)。例えば44ページでリオネルが列挙するケベックの詩人たちはいずれも実在ですが、なんとこの時点ではまだ生まれていないか、まだ大人になっていない人たちばかりなのだそうです。また、47ページに挙がっている、原住民と婚姻をした一族の例、これらもことごとく実在ながら、ネピジニーは家名ではなく、エノー家の住んでいた土地とのこと。209ページのドゥマレとダヴィニョン医師もタリューによって生没年が特定されています(何度も出てくるブラウンには訳注が付いていたでしょうか?)。そして名無しのジャンを逮捕したコモーも実在の人物ですが、フロントナック砦のシンクレア少佐は架空の人物。そして、物語の大詰め、カロリーヌ号の事件は、ヴェルヌが自分を振った初恋の従姉への恨みを晴らしているみたいですが、実際には史実を文脈と年代を変えてここに持ってきたことは大矢氏が解説で指摘する通りながら、タリューによると、マック・ナブ、ドリュー、マクラウドの行為は明らかに誇張されており、三人ともにこの作品が発表された時点ではこの世を去っていましたが、遺族から名誉毀損で訴えられてもおかしくないレヴェルだそうです。
posted by ishibashi at 00:26| Comment(1) | 今日の誤訳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
久しぶりの書き込みです。
私用と雑用等に追われて、ヴェルヌ作品から遠ざかっていました。ちょっと気になっていたことですが、「80日間世界一周」はエッツェルの要望で書いたものでしょうか?ヴェルヌはイギリス嫌いで知られていたそうですからね。
(W・J.ミラー注)/「註注版・月世界旅行」(高山宏 訳)(ちくま文庫)
P254からの引用によれば、彗星にイギリス人だけ取り残される結末だそうだ。

「海底二万里」は最初ネモ船長をポーランド人に設定。ロシアの読者を意識してエッツェルの要望で身元不明のまま終わらせたんですよね。

この数年後、「皇帝の密使ミハイル・ストロゴフ」を書いたことで。校正を任されていたツルゲーネフの心を掴んだだけでなく、ロシア映画にもなったぐらいですから。

こういった理由から「80日間世界一周」もエッツェルからの要望で、イギリスの心を掴むために書くのを勧めたのではと思ったのです。

実際はどうなのでしょうか?
Posted by Cyrus.Harding42 at 2018年07月17日 23:35
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