『海街diary』は何度読んでも感銘を受ける名作ですが、その第6巻に「地図にない場所」という一編があります。全体の筋からは少し離れた、いわゆるサイド・ストーリーなのですが、全編を貫く主題が別の面から集約されたような趣もあり、やはり欠いてはシリーズが成り立たない重要なエピソードだと思います。
さて、この話に出てくるのが、「立ち上がってたたみなさい 君の悲嘆の地図を」という一文です。
イギリスの詩人オーデンの詩の一節だと、引用した登場人物が説明するのですが、はて、ではなんという詩の一節なのか。また、この登場人物はどうやってこの詩を知ったのか、描かれていない背景にも興味が湧き、ちょっと調べてみることにしました。インターネットで検索すると、同じことを調べている人が何人もいらっしゃって、当該の詩が1935年、初期に書かれた"Twelve Songs"という詩であることがわかりました。
ウィスタン・ヒュー・オーデンは1907年に生まれ、1973年に亡くなっています。イギリスで生まれ、アメリカ国籍を取得して移住しました。亡くなったのは別荘を持っていたオーストリア。多作な作家で、50年代から70年代にかけてよく翻訳されており、日本で影響を受けた作家も多い。おそらくその影響をもっとも如実に示しているのは、大江健三郎が短編「見る前に跳べ」、中編「狩猟で暮らしたわれらの先祖」という題名を、オーデンの詩から引いていることでしょう。
しかし、昔訳された詩集で、今読めるものは少ない。思潮社『W・H・オーデン詩集』(沢崎順之助訳)、小沢書店『オーデン詩集』(中桐雅夫訳、福間健二編)、筑摩世界文学大系『イェイツ・エリオット・オーデン』、新潮社『世界詩人全集 オーデン スペンダー トマス詩集』を近所の図書館で借りることができました。
しかし、その中には"Twelve Songs"の翻訳はなかったのです。筑摩世界文学大系には「十二の歌」という詩の翻訳がありますが、これは1966年にそれまでの短詩をまとめた同題の詩でした。
すぐに手に入らない翻訳も多いので、その中に"Twelve Songs"の訳はあるかもしれません。しかし、引用した登場人物は割と若い人なので、果たしてそうしたものに目を通す機会があったかどうか。とすると、原書を読んだのか。学生時代に読んだと発言からは窺えるので、優秀な学生さんだったということか。原文は(今はネットに出ていますから興味のある方は見てください)詩ですから、すんなり読めるものではないものです。それとも英語の先生か、誰かに教えてもらったのか。
それともどこかで大江健三郎か、また別の文学者が引用していたのかもしれません。そう考えるとさらに探索の手を広げなければなりませんが、そこまではできていないのが現状です。
というところまでで、この捜索は中途半端に終わっています。暇になったらもう少し捜して見ますが、描かれていない作品との(架空の)出会いを、調べたことに基づいて想像する、二次創作的な妄想は楽しい。
また一方で、こんな風に一つのことを手がかりに読書の輪を広げていくのは面白いものです。筑摩世界文学大系は、詩もさることながらエリオットやオーデンの文学論もなかなか読み応えがあります。エリオットの戯曲『大聖堂の殺人』や、オーデンがシェイクスピア『テンペスト』の解釈として書いた戯曲風のテクスト『海と鏡』なども面白い。ボブ・ディランがその名前の元にした詩人、ディラン・トマスの詩も興味深く読みました。
実は、オーデンは幼少期ヴェルヌを愛読していて、『怒れる海 − ロマン主義の海の図像学』という講演録も出しています(未読)。ヴェルヌにどこまで言及しているかは読んで見ないとわかりませんが、『海底二万里』を読むうえで一度は読んでおきたい。ヴェルヌ研究者にとってもオーデンは気をつけておくべき作家なのです。
もう一ついうと、詩集や全集の編者たちは、多作なオーデンの全体像を示すべく詩を選び出しているわけですが、小品ではあるものの、このように意外な影響を及ぼす作品がこぼれ落ちてしまっている。
我々も、多作であるヴェルヌの全体像をお伝えすべく活動を続けておりますので、いい教訓にしたいと思います。