2015年12月02日

BSJV編集部より@――教皇レオ十三世の言葉

折角島村さんに十号の紹介と、おもしろそうな作品をお勧めいただいたのに(ブリクセンは僕も読めば絶対おもしろいとわかっていながら短篇をちょこっと読んだだけ……仕事と関係なく小説を純粋に読む時間を確保しなければ)、流してしまって恐縮です。思いついた時に書いておかないとまた次がいつになるのか知れないので、ご海容いただきたく。

フランス本国のジュール・ヴェルヌ協会の会報の編集委員を仰せつかってから数年になります。それまでは怠惰な会員として、年四回送られてくる会報は目次だけ目を通し、稀に個人的に興味のある論考(特にフォルカー・デース氏の投稿)や資料を読むだけで、あとはほとんど読まずに書棚に収容していたわけですが、さすがに委員ともなれば、送られてくる原稿すべてを読んでチェックし、ごくたまに没の判断もしないといけません。というわけで、年三号に減ったとはいえ、毎号それなりに読まないといけないのですが、役得として、最新の情報が早く入手できる、ということがあります。その点を中心に、協会報(BSJV)の内容をご紹介していきたいと思います。題して「BSJV編集部より」。拙宅にはバックナンバーも(最初の四号を除き)すべて揃っていますので、話題によっては最新号にこだわらず、過去にも遡れればと思いますが、果たして需要があるのかないのか。まあ始めるだけ始めましょう。

次号(190号)はそろそろ印刷所から発送されるはずですが、来年春に出る予定の191号は、ナント特集となっており、ヴェルヌの弟ポールの息子モーリス(ヴェルヌを狙撃したガストンの弟)による、1884年の地中海周航の記録が掲載予定です。編集長のデース氏は、資料発掘の鬼のような人で、何処かの図書館で行方不明になっていたヴェルヌの未刊行戯曲の草稿を、司書が間違えて別の紙ばさみにしまい込んでいたのを再発見したことがあって、つくづく感嘆したものです。とはいえ、さしもの彼も最近はネタ切れらしく、日本語版『ヴェルヌ伝』には紹介されているものの、フランス本国ではまだ、という資料が目についていたところ、今回、久しぶりに結構大きな発見を見せてくれた次第。なにが興味深いといって、この資料は、例のマルグリット・アロット・ド・ラ・フュイがヴェルヌ伝のこの航海に関する部分を書く際に使った原資料のひとつということ(ちなみに、この航海についてはヴェルヌ自身も日記を残しているが、未刊)。ヴェルヌにとって最後の大航海となった地中海周航は、執筆中の『マチアス・サンドルフ』を含め、複数の作品の素材になっており、極めて重要なのですが、この時イタリアで教皇に拝謁しており、ヴェルヌとカトリックの関係という面でも見逃せません。デース『ヴェルヌ伝』では、教皇がヴェルヌに言った言葉をマルグリットが「例によって、その場に居合わせて見てきたかのように」報告している、と書くことで眉に唾をつけていますが、この部分の元はモーリスの記録であり、しかもヴェルヌ作品に関する発言部分はまるまるマルグリットの加筆と判明しました。ほかにも、デース『ヴェルヌ伝』は、一行がチュニスを陸路で旅し、ひどい道と食事に苦しみ、ヴェルヌが妻に「食ってかかった」ことになっています。この部分もマルグリットがモーリスの原文を大幅に大袈裟に書き直していることがわかりました(ヴェルヌが妻に「食ってかかった」という記述は皆無)。やはりマルグリットの創作癖は本格的なようです。「ある人に想像できることは、別の人によって実現可能です」という言葉は、これでますますマルグリットの創作であるとの疑いが濃くなりました。

また、191号には、ヴェルヌの子孫の方が「ポール・ヴェルヌの墓」を再発見した顛末を記した短文も掲載予定。なんとヴェルヌの弟の墓は一時的に行方不明になっていたのです。……といっても、どこか辺鄙な田舎の教会墓地、とかではなく、パリのペール・ラシェーズにあったのですが、どうやら名前が二番目の洗礼名になっていた模様。奥さんとの仲が悪くて別居していたはずですが、お墓は一緒だったとのこと。
posted by ishibashi at 23:13| Comment(2) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ファラー

文学フリマ、我がブースは盛況だったようで、あらためてお越しいただいた皆様にはお礼申し上げます。我が家にもついに会誌10号到着。某ツイートで自立式だと書いてありましたが、試してみたら本当に立った。全309ページ、さすがのボリューム。

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さて、誰でもそうなのかも知れませんが、書き終わった後には、それまで気付かなかったところに目がいくようになるものです。特集用投稿で、『八十日間世界一周』の主人公フィリアス・フォッグの「分裂」と「統合」を論じたとき、それは決して弁証法的な「止揚」ではない、と書きました。

今読み直してみると、果たして「弁証法」という言葉をちゃんと理解して使っていたのかね、と我ながら考えてしまいます。最近でも下のような本が出ていて、どうも人によって捉え方の違う、幅広い概念のようです。

http://www.sakuhinsha.com/philosophy/25231.html

このバスカーという人は「批判的実在論」とのこと。たとえば中沢新一氏が弁証法というときは、ギリシア正教の三位一体論に近いらしく、ちょっとよく分からない。近代弁証法の祖と言えばヘーゲルですが、ラッセルの「西洋哲学史」では、ヘーゲルはもっとも難解な哲学者の一人だ、と言われているくらいで、ちょっと私には荷が勝ち過ぎかと思います。ご承知のように、ヘーゲルの観念的弁証法はその後マルクスによって唯物論的に「転倒」させられるという、もはやよう分からんことになりますので。

そんなことが頭にあって、カーレン・ブリクセンという人のエッセイ集「草原に落ちる影」(桝田啓介訳・筑摩書房)を読み始めると、最初のエッセイ「ファラー」に、「異質であるが故に統一体」であるもの、という話がいきなり出てきてつい注目しました。投稿を書かなければ気にせず読み飛ばしたかも。

それは何かというと主従関係のことであり、旧約聖書の預言者エリシャと従者ゲハジ、リア王と道化、ドン・キホーテとサンチョ・パンサなどに続いて、出ました、「フィリース・フォッグとパッセパルトゥ」。

何か、表記が変ですが、デンマーク語からの翻訳なので、原語に忠実に訳したか、訳者がヴェルヌをよく知らなかったか、どちらかでしょう。しかし、リア王やドン・キホーテに並び称されるとは、フォッグも出世したものです。もっとも、ブリクセンはパスパルトゥを「世知にたけ、いつも冷静沈着な」と書いているので、他のペアと勘違いしているかもしれませんね。

さて、知ってる人は知ってる話なので隠すつもりもないのですが、カレン・ブリクセンというのはデンマークの女性作家の筆名です。筆名というのは、ブリクセンは離婚した夫の苗字だからで、元の姓はディネセン(「ディーネセン」が正しい、と訳者は書いていますが)。英語で作品を発表する時は、イサク・ディネセンという男性名を使っていました。

ディネセンはアカデミー作品賞を受賞した映画「愛と哀しみの果て」の原作、「アフリカの日々」で一躍日本でも有名になり、その後アカデミー賞外国語部門賞を受賞した「バベットの晩餐会」の原作者としても知られています。20世紀初頭、結婚してアフリカの農場経営に乗り出すも破綻。結婚生活もうまくいかず離婚、その後短編集「七つのゴシック物語」、回想記「アフリカの日々」で作家生活に入ります。

ディネセンの小説は、最初の短編集の表題どおり、アラビアン・ナイトやデカメロンのような物語の魅力と、19世紀が育んだ小説ジャンルの繊細な描写力とが融合した傑作ぞろいですが、アフリカで異文化に深く関わった経験が、やはりどこかに生きているようです。

「草原に落ちる影」は晩年のエッセイ集で、「アフリカの日々」で書かなかったエピソードや後日談から成っています。ファラーとは、アフリカ時代にカレンに仕えた黒人(ソマリ族)の召使いの名です。
エッセイでは、ファラーがソマリ族の価値観を重んじながら、「奥様(メンサヒブ)」カレンとともにトラブルに対応する際の水際立った有能ぶりが記されています。圧巻はエドワード皇太子を招待した時のエピソードですが、ディネセンならではの「途方もなさ」と「繊細な」美の象徴性が存分に発揮されて堪能できます。

そして、農場が破綻した最後に、カレンはファラーとの「ペア」の深い意味に思い至るのですが、これはぜひお読みになっていただければ。

有能な召使いというと、最近では黒執事とかジーヴスとかが有名ですが、ピーター・ウィムジィ卿の従者バンターとか、「サンダーバード」ペネロープの従者パーカーとか、枚挙にいとまがありません。

そう言えば、フォッグとパスパルトゥを「ペア」として読む視点が、少々不足していたかな、といささか反省した次第です。

さて、有能な召使いと言えば「バベットの晩餐会」のバベットもそうなのですが、これも読み返してみると、読書会でも触れたパリ・コミューンが背景にあって驚きました。やはり、以前は気にもしていなかった。
ディネセン=カレンがこれを書いたのは第二次世界大戦後ですが、書かれた時期を考えると、様々に重層的な読み方が出来るように思います。

「草原に落ちる影」の終章「山のこだま」は、カレンの晩年の心境が記されていて、心に染みます。久々、太鼓判で推します。しかし、先に「アフリカの日々」や「七つのゴシック物語」を読んでからがお勧め。今度、「冬の物語」という第二短編集も新訳が出るそうです。

「投稿後」に目についた本は他にもありますが、また改めて。
posted by sansin at 15:35| Comment(0) | 今日の推しコン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする