2015年12月22日

BSJV編集部よりA

先日、ヴェルヌ協会会報の最新190号が届きました。200号も見えてきたわけですが、今年は、ヴェルヌ協会の50周年(戦前に創設され、間もなく活動を停止した時期を含めれば70周年)でもありました。ヴェルヌが19世紀の作家であることを考えれば、意外に歴史は浅いとも言えます。

前回のコメント欄で、過去のミシェル・ヴェルヌ特集を紹介すると予告しましたが、最新号を紹介する方が先でしょう。ということでごく簡単に。本号と次号は、ヴェルヌの草稿に関する寄稿を中心にまとめる、という編集方針が採られています。すでに本ブログでも紹介しましたように、ウィリアム・ブッチャーの草稿研究書の書評が本号に二本載り、次号には、シャイナルトの博士論文と拙著の書評が出ることになっています。改めて二本の書評を読み直してみました。シャイナルトの批判は、ブッチャーの草稿研究がエッツェル抜きの純粋ヴェルヌという幻想=ファンタスムの「復元」を目指す限りにおいて、草稿研究という科学的方法を逸脱しているという点に尽きるでしょう。草稿研究は確かに本文校訂の一助になるし、著者による最終版を相対化するが、あくまで時系列に沿った異同によって作家の創作過程を再現し、その過程の一段階を「代表的」ケースとして基準となる本文を定めることが目的であって、最終版にお墨付きを与えることでもなければ、原型に遡ることでもない、と。個人的には、草稿研究がファンタスムを誘発することは避けられず、それがまったく排除されるべきだとも思わないので、その立場から、ブッチャーのファンタスムがどのように発生しているのか考えてみたのが拙文になります。フロベールが排除した物質性=偶発性をヴェルヌとエッツェルのコンビが引き受けたとすれば、ブッチャーはそれを排除した結果、フロベールにとってもっとも排除されるべきだった物質性として、徹底的に脆弱で当人からも守られるべき作家の「自我」を見出してしまい、これに対するエッツェルの「迫害」への怒りをエネルギーに、異同を洗い出す作業が進められたのではないか。この二本の書評はオンラインヴェルヌ研究誌Vernianaに英訳される予定でしたが、英訳をするはずだった人が断念し、代わりに英語でオリジナル書評を書き、その中で紹介されることになっております。

その他の草稿関係の寄稿は三本あり、イタリア人イレーヌ・ザノ(だとフランス語読みなのですが)によるヴェルヌのスカンジナヴィア旅行メモの紹介、クザヴィエ・ノエルによる『南の星』のグルーセ版草稿(先ごろナント市立図書館が購入、近く電子化される予定)の紹介、そして、フォルカー・デースによるアミアン市立図書館所蔵のヴェルヌ及び関係者による手書き資料のリストです。最初の二本は残念ながら紹介に留まり、それほど突っ込んだ内容ではありません。デースの書誌は、例によって綿密なもので、アミアン市立図書館の資料は全貌が明らかになっていない段階ですので、非常に貴重です。

残る寄稿は、Brigitta Mader氏によるヴェルヌとルイージ・サルヴァトーレの交流に関する新発見の報告です。今号で最も興味深く読んだ文章になります。これまでこの二人が最初に出会ったヴェネツィアのホテルがどこなのか、二つの異なる証言があったのですが、ヴェルヌのルイージ・サルヴァトーレ宛書簡が発掘され、それが英国ホテルと判明。ヴィクトリア・ホテルだったというヴェルヌ自身の後年の記憶はやはり当てにならないことがわかりました。また、デースのヴェルヌ伝でも、この時に執筆中だった『マチアス・サンドルフ』の主人公のモデルの一人として、ルイージ・サルヴァトーレがヴェルヌの念頭にあったとされていますが、書簡に示されている通り、この時点でヴェルヌは彼のこともその作品のことも知らなかったようです。したがって、従来の定説は修正される必要があります。
posted by ishibashi at 01:09| Comment(2) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月20日

「アインシュタインの時計 ポアンカレの地図」

前回に続き、会誌10号の特集寄稿に関連した書籍をご紹介。

この本については、10月発売ということで、書店で発見したのは投稿後だったのですが、もう2ヵ月前に目を通していれば、投稿の内容は確実に変わった本。

ピーター・ギャリソン「アインシュタインの時計 ポアンカレの地図」(松浦俊輔訳 名古屋大学出版会刊)。

アインシュタインの相対性理論が生み出された背景を、科学理論の発展のみならず、当時の産業や社会思想の状況に求めています。特に帝国主義政策化の交通・通信の発達に伴う「時計の同期」、すなわち標準時の制定とその技術的な実現(結局、無線通信が実用化されるまで精密な時刻同期は実現しなかった)が時空の相対性というアイディアに深く関わっていたという指摘は大変興味深い。

なにしろ、1870年代から始まった標準時の制定をめぐる各国の争い、経度の確定のための世界各地の測量における、あまりに脆弱な電信ネットワークと劣悪な環境での苦難など、読み進めるほどにヴェルヌ的要素が横溢します。

そして、本書の主役であるアンリ・ポアンカレ(解説はアインシュタインと相対性理論が結局は主役みたいに書いてますが、ポアンカレの方が主役としか読めません)ですが、経歴と業績がかなり詳しく書かれています。彼の評伝は日本では適当なものが見当たらないようで、それだけで大変興味深い内容です。

数学の「ポアンカレ予想」で有名なトポロジーの創始者とされるポアンカレですが、ヴェルヌと息子ミシェルが裁判に巻き込まれたときに弁護を務め、後に大統領になったレイモン・ポアンカレの従兄にあたります。数学者・理論物理学者であっただけでなく、アンリは国立理工科学校「エコール・ポリテクニーク」のエリートとして、国家の科学技術政策に深く関わっていました。当初技師として鉱山の監督を務め、キャリアを伸ばして経度局の局長に就任します。経度局こそ正に、地図と時刻を定める国家機関であり、その政策は産官学にまたがる影響を持つのです。その中で、アンリは時間とは規約であり、複数箇所における時間の同期=「時計合わせ」の関係性そのものでしかないと看破します。しかし、エーテルを否定するところまではいかず、アインシュタインに相対性理論の着想を持っていかれた形になります(特殊相対性理論は1905年発表)。ポアンカレ残念。二人は同時代をすれ違いながら、ほとんど接点のないまま1912年にポアンカレが亡くなります。

ポアンカレはアインシュタインの理論を肯定しませんでしたが、著者ギャリソンはモダニズムの二つの形式がすれ違ったのだと論じています。

ギャリソンが参照するポアンカレの論文「時間の測定」は、岩波文庫から翻訳の出ている「科学の価値」(吉田洋一訳)で読むことができます。ポアンカレの主著は、「科学と仮説」「科学の価値」「科学の方法」と、全て岩波文庫で読むことができるのです。さらに、晩年のエッセイ集「科学者と詩人」も、今春リクエスト復刊され、今はポアンカレの主著作をどれも店頭で買える好機と言えます。

実は、私は自由投稿の方でケルヴィン卿(ウィリアム・トムスン)について触れるため、「科学者と詩人」に収められた追悼文を参照していました。しかし、並んで収録されている「砲工学校校友」は読み飛ばしてしまっていました。「砲工学校」こそエコール・ポリテクニークであり、校友とはいわゆる「ポリテク生」なのです。ギャリソンはこのエッセイに見られる「ポリテク」たちの国家技師としての自意識を見逃していません。

そうすると、本書の内容が直接関わるのは〈驚異の旅〉諸作中では何といってもガンクラブ三部作の第三作「上を下への」(1889)でしょう。主人公の一人ピエルドゥーは正に「ポリテク」だからです。鉱山技師であり数学者という職業もポアンカレと重なります。
前二部作(月二部作)に出てくるフランス人がナダールをモデルにした冒険的なアマチュア、ミシェル・アルダンだったのに対し、「上を下への」では官僚コースを歩む国家技師に変わっているところに時代の変化があります。会誌7号ではアルダンの代わりにガンクラブを先導するのはアメリカの未亡人エヴァンジェリーナ・スコーピッドではないかと論じましたが、否定する立場としてのピエルドゥーの役割も無視できないということでしょう。(ピエルドゥーのモデルはヴェルヌの知人のようで、ポアンカレではありません)
さらには、北極の競売をめぐる各国のドタバタは、当時の標準時をめぐる争いがどこかに反映しているかも知れない。『八十日間世界一周』はまさに時差が主題でしたが、その後『征服者ロビュール』(1886)に日付変更線に位置するチャタム島を取り上げるなど、ヴェルヌにとっては継続した関心事であったろうからです。

こうして見ると、本書の内容は〈驚異の旅〉全体を通底している、「世界の記述」という主題と、同時代的に密接して関わっていることがよく分かります。ギャリソンはアンリの甥の手紙を紹介して述べています。
「ポアンカレが生涯、探検記や旅行記を熱心に追いかけていたことを語っている。ポアンカレの仕事はすべて、科学の内と外で、「世界地図の白いスペースを埋める」という欲求を特徴としていたのだ」(267ページ)

冒頭書いたように、この本を先に読んでいれば、特集用投稿で社会背景に触れたに違いないですし、自由投稿では「時計の同期」と、ポアンカレの名前をどこかに入れたと思います。

ちょっとお高い(税別5,400円)のと、ポアンカレの前史であるからか、電信ケーブルについてはケルヴィン卿に全く触れていなかったり、途中、時間軸を行ったり来たりしてもたつくところがあって、もうちょっと整理できるんじゃないかと思ったりするところもありますが、ヴェルヌ関連本として推していいと思います。岩波文庫のポアンカレの諸作もどうぞ。

ちなみに、「科学と方法」の終わり近くに、もうじきヴェルヌが想像で書いた地球の空洞が証明されるだろう、という記述があってちょっと驚き。地底探査が本格化するのはポアンカレが亡くなってもう少ししてからのようです。ここでもちょっと、ポアンカレ残念でした、ということで。
posted by sansin at 14:09| Comment(1) | 今日の推しコン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月07日

会誌10号の感想

会誌10号拝読いたしました。
いままでの会誌よりもかなり厚いですね。休日にざっと目を通してみました。今回のテーマが『八十日間世界一周』だけあって読み応えがありました。なんといっても、最初に目がとまったのは『折られた麦わら』でしょうか。処女作品としてよく知られ、書名のみ語られているにもかかわらず翻訳されなかった幻の作品ですからね。
冒頭からフロンタンの名前が連呼されるシーンから『緑の光線』をおもわず連想させられました。「ベス!ベッツィ!…」のシーンです。
この『折られた麦わら』を読んでいて、ふと気付いたことがあります。この作品だけでなく、過去にも紹介された『頑固者ケラバン』や(『ごごおっ、ざざあっ』『水声通信社No27』から)もふくめて3作品まとめて刊行するってのはいかがでしょうか?

ヴェルヌ研究会会員の面々だけが味わえるのは寂しいものがあります。Amazonでも『緑の光線』や新訳『海底二万里』上下(新潮文庫)などの刊行でコアなヴェルヌファンが出てきていますからね。またカロリーヌのサンゴ事件もまだ、まことしやかに伝えられていますし、最新情報を読者に届けるのも読者獲得だと思います。
(島村山寝)『黄昏の邂逅』
なんだかパスティッシュ作品を読んでいるみたいで楽しく読ませていただきました。もしも、パスティッシュ作品…で気分を害されたら申し訳ありません。

巻末の「〈驚異の旅〉全リスト」長編62篇。短編18篇
ボリュームたっぷりな情報嬉しいものがあります。過去の情報では80篇と伝えられていますから、ミシェル・ヴェルヌの作品も含まれているのでしょうね。

今回、会誌10号にエッセイ投稿できなかったのが残念でした。ギリギリになって半分ほど書いていたのですが、読み直しと添削チェックをしていた時に台風の影響で鹿児島県全体が停電になったものですから。
運よくこの書きかけの原稿はフラッシュメモリーに保存していましたので、来年に投稿しようと思います。長文失礼いたしました。
posted by Cyrus Harding42 at 23:04| Comment(2) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする