2015年09月02日

椎名誠・渡辺葉訳『十五少年漂流記』

こんにちは。8月末に新潮社から椎名誠・渡辺葉訳『十五少年漂流記』が出版されましたので、それについて。
(ちょっと今回長くなりますがご容赦を)

渡辺葉という方は、椎名誠氏の娘さんだそうです。椎名誠氏のあとがきを読むと、『十五少年漂流記』は子どもの頃からの愛読書で、今回娘さんと共訳できて感無量とのこと。

あとがきは子どもの頃の思い出などから書き起こされて、さすが名随筆家の文章だけあって読ませるのですが、ひとつはこの本が「フランス語原版からの、たぶん初めてであろう全訳である」と書かれていること、それから、ご自身が現地まで行ったという、小説の舞台のモデルとなった島が、南アメリカ沿岸のハノーバー島ではなく、ニュージーランド近くのチャタム島ではないか、という説を(これが初めてではないですが)開陳していること。

この二つについてはコメントせざるを得ません。

まず「フランス語原版からの、たぶん初めてであろう全訳である」ということ。椎名誠氏は大人になってから、福音館書店の古典童話シリーズで朝倉剛氏の訳になる「二年間の休暇」を読まれ、その後ヴェルヌについても調べたそうですが、
「共通認識として知ったのは、訳者が違ってもその原文は英文訳書から邦訳されたものであり、原版であるフランス語からの直訳ものは、当時僕の知る限り抄訳以外は殆ど存在していないということだった」と続けています。

これを読むと大変戸惑います。何故かというと、朝倉訳はLidis版を用いて完訳を試みた、と朝倉氏があとがきではっきり書かれているからです。

ここで注意が必要なのは、旺文社文庫で『十五少年漂流記』を訳された金子博氏が、本国フランスでも『二年間の休暇』は縮約版が流通しており、ご自身もその縮約版から訳したと明記していることです。
縮約版というのは日本ではあまり見られませんが、最近ではそれこそ新潮社の同じシリーズで、『失われた時を求めて』を一冊にまとめるという大胆かつ問題含みの訳を刊行していて、それを想起していただければいいでしょう。

昔の『十五少年』は、英訳からの重訳や、縮約版からの訳が多かったようですが、まず重訳ばかりだったというのは誤りで、仏語からの直接訳も、金子氏や朝倉氏のように当然あった。

本国でリーブル・ド・ポッシュが完全版の全集を刊行した後は、邦訳も仏語の完全版を使用しているようです。集英社文庫の横塚光雄訳、偕成社文庫の大友徳明訳(特にこれは「完訳版」と明記しています)、岩波少年文庫の当会顧問、私市保彦先生訳は全て仏語完全版からの完訳です。
(朝倉訳は確認できていませんが、おそらく完全版と考えられます)

したがって、椎名誠氏は何か誤解をされているとしか思えないわけです。

ところで、椎名誠氏は同じあとがきで、「大時代的」な表現を「意訳」し、「かなり省略」したとも書かれています。
(使用した原書は、リーブル・ド・ポッシュ版だそうです)
ということは、この新訳は「全訳」ではあっても「完訳」とは言い難いかもしれません。
文章を逐一検証する余裕はさすがにないのですが、第一章を見ると確かに原文の段落が途中省略されている箇所もあるようです。

もう一つ、モデルの島について、これについては会誌第三号で詳しく解説されているのですが、残念ながら完売しておりますので、かいつまんで。一つはチャタム島は原住民がいて、無人島ではないということが当時から知られていたこと。もう一つは、チャタム島はすでに『征服者ロビュール』で舞台に使われていて、基本的にヴェルヌは一回使用した場所は後の小説では使わない。それから、当時の地図を見ると、小説中の島の地図に輪郭が似ているのはやはりハノーバー島だということです。

そもそも、もともとヴェルヌは(当然)現地取材はしておらず、地図上だけで舞台を決めていたのですから、実際に行ってみてどちらがイメージに近いか、ということはあまり関係のないことです。

岩波少年文庫のあとがきでも書かれていますが、ヴェルヌはマゼラン海峡の近くに舞台を設定することで、大航海時代のマゼランの偉業に主人公たちの行動をなぞらえたのではないかと私市先生は指摘されています。
これはあり得ることで、ヴェルヌの初期長編『グラント船長の子供たち』にもそうした目配せを読み取ることが出来るからです。ヒントになるのは、少年の一人がロビンソンの冒険物語を船から運び出す際、カモンイスという詩人が自作の叙事詩「ウス・ルジアダス」を難破した船から持ち出したという故事が引用されていること。

『グラント』にも出てくるこの「ウス・ルジアダス」は、バスコ・ダ・ガマやマゼランの功績を讃える大航海時代の賛歌なのです。ヴェルヌには、そうした過去の作品の主題を自作にすべりこませる、ブッキッシュな側面もあるのです。

「二年間の休暇」の感動を、新しい読者に届けたい、という出版社や訳者お二人の熱意は大いに賛同されるべきですので、椎名誠氏のあとがきそのものを評価することは控えたいと思います。ただ、事実の指摘と、異論がある旨だけ記しておきます。

ただ、もう一つ気になるのは、原書のcolonieを「少年国」と訳していること。これは、『神秘の島』を特集した時(会誌6号)も議論となったのですが、『神秘の島』の邦訳でも、「植民地」と訳しているのと、「開拓地」と訳しているのと、二種類がありました。

岩尾龍太郎氏に「ロビンソン変形譚小史」(みすず書房)という傑作評論があって是非ご一読いただきたいのですが、ロビンソン・クルーソーもの(「変形譚」)の系譜において、19世紀の変形譚は「国民国家のイデオロギー統合」を当然色濃く反映しており、ヴェルヌもまた例外ではないということです。これはヴェルヌの否定ではなく、時代的限界というものがある、ということです。
同じヴェルヌの「八十日間世界一周」が示しているとおり、世界中に交通網がはり巡らされた19世紀には、もはや未発見の無人島(フロンティア)など存在しないという自覚があり、それゆえ漂流譚は「どこにもない場所」での冒険ファンタジーの性格を強くするとともに、新しい世界を我がものにする、というスピリットも強く持つようになります。

植民にせよ、開拓にせよ、それは世界を所有するということであり(象徴的なのが、島に名前を付ける場面です)、「ユートピア(どこにもない場所)」ならともかく、ヴェルヌが書いていた時代には領土拡張と直結した問題であったことは理解しておくべきでしょう。
それは日本と無縁ではなく、維新後近代化を進める明治において、さかんに翻訳されたヴェルヌは、間違いなく同時代の作家であったわけです。当時各国が進めた政策が、今に至るまで国家間の不和の火種であることは周知のとおりです。

朝倉訳のあとがきでは、むしろ「二年間の休暇」の筋立てに国際協調への希求を読み取っていますが、いずれにせよ、「少年国」という訳語を注釈もなくそのままあてることが、今この時代にヴェルヌを読むにあたって、−新しい年少の読者に紹介するにあたって、− 適切なことであるのか、読者側として少々考えなければいけないことのように思われます。

posted by sansin at 15:42| Comment(3) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする